どこまでも深い瞳 ~エクアドルで見た子どもたちの姿~
「大都会の東京で電車に揺られている時、雑踏の中で人込みにもまれている時、ふっと北海道のヒグマが頭の中をかすめるのである。私が東京で暮らしている同じ瞬間に、同じ日本でヒグマが生き、呼吸をしている・・・。確実にこの今、どこかの山で、一頭のヒグマが倒木を乗り越えながら力強く進んでいる・・・。そのことがどうにも不思議でならなかった。」
星野道夫 「憧れ」より
エクアドルで最初に訪れたサン・クレメンテのお話しをアップして以来、気がついたらすでに2週間近くが経ってしまいました。ブログを書こう書こうと思うのですが、なかなか言葉にならず、帰国後最初の1週間に至っては、自分の半分しか日本に帰ってきていないような感覚でありました。ようやっと帰ってきたかなという感じがしています。そして、エクアドルを発って以降ずっと自分の中にある感覚を表現してくれているように感じているのが、冒頭の星野道夫さんの文なのです。
いやいや、先住民の方たちをヒグマと並べているわけではないのです。もちろん、自然の中で地球とつながって生きているという点では共通する部分も多いかもしれませんが。そうではなく東京の風景や人、その中で生きている自分の時間と、エクアドルのアマゾンに暮らす人々の日常があまりに違っていて、しかし今同じ瞬間に二つの世界が存在していることが、なんかすごく不思議に感じるのです。
サン・クレメンテから熱帯雨林への玄関口とも言えるプヨに移動した翌日、私たちは小さなセスナ機に乗ってアチュアル族の住むティンキアスというコミュニティのエコビレッジへと移動しました。セスナは草と土の滑走路に着陸し、アマゾンのジャングルを歩き、モーター付きの小舟(カヌーと呼ばれていた)で川を遡上してさらにジャングルを歩いてティンキアス・ロッジに着きました。
ロッジと呼びますが、建物は植物で葺いた屋根を柱が支えているだけ、壁もなくベッドに蚊帳が吊ってあるだけ といったものでした。若干距離が離れているものの他の部屋も自分たちの部屋も丸見え状態。それでも高床式のような構造で建物同士も木の廊下でつながれています。先住民の家はほぼ全て高床式ではなく地面に直に東屋のような茅葺き(と呼んでいいのかどうか)の建物なので、それと比べると西洋人はじめ海外の人にも過ごしやすい造りにしてくれているのでしょう。
このティンキアス・ロッジに私たちは4泊し、コミュニティ訪問やカヌー、ジャングルのトレッキング、そして先住民の長老による夢の解き明かしの儀式や、シャーマンによるスピリチュアルな儀式など、実に濃いアマゾンの暮らしにどっぷりと浸らせてもらったのでした。儀式などの詳細はブログでは書ききれないような伝えきれないような部分も多々ありまして、今後開催しようと思っているオンラインの報告会や、旅の仲間が開く各報告会などに場を譲りたいと思いますが、今日はティンキアスで出会った子どもたちのことを記憶に留めようかと思います。
子どもたちの姿そしてその目は、この旅を通して私の中に最も強く焼き付けられた記憶の一つです。「どこまでも深い瞳」という以外に自分の中でぴったりくる表現が見当たらない感じなのですが、目と目を合わせて見つめていても、なんか自分を見ているというより自分の奥の深いところというか自分を通り越してその先にあるものというか、そんなものが見つめられているように感じる目なのです。そして自分の心の中にある、何か見せたくないような部分を見られているように感じる、そんな目なのです。
聞いたところでは、アチュアル族では大人だけでなく子どもも夢の解き明かしの儀式や、植物を調理したものを飲むことにより幻覚的な作用も含むビジョンを見て、その解き明かしをシャーマンから受ける儀式に参加するそうです。また、生活の中で様々な自然とのつながりを経験し、日々に命をいただき、生きるための技術を身につけていきます。飛行機から降りて最初に目にし驚いたことの一つも、5歳くらいの子どもが刃渡50cm以上もある山刀(マチェット)を持って裸足で歩き回っている姿でした。(ちなみにアチュアル族の男たちは、木を切り倒すことから草を刈ること、さらには穴を掘ることなど、何でもマチェット一本でやってしまいます。
動植物やスピリチュアル的な存在をも含めた自然とのつながり、家族やコミュニティとのつながりの中ジャングルに生きる彼らの生活が、あんなにも深い眼差しを作り上げているかな?そんな風に感じた出会いでした。今、私が東京で電車に乗ったり街を歩いたり、テレビ見たりしている瞬間瞬間に、アマゾンの熱帯雨林の中で、あのどこまでも深い眼差しで世界を見つめている、裸足で大地を踏みしめて生きている人たちがいる・・・そんなことをいつもどこかで自分の中に確かめながら今この瞬間を、自分の生きるこの東京で過ごしていたいなと、そんな風に感じています。最後に再び、星野道夫さんの「憧れ」から。
「・・・自然とは、世界とは面白いものだなと思った。あの頃はその思いを言葉に変えることは出来なかったが、それは恐らく、すべてのものに平等に同じ時間が流れている不思議さだったのだろう。そしてその不思議さは、自分が育ち、今生きている世界を相対化して視る目を始めて与えてくれたのだ。」
ー星野道夫 『長い旅の途上』pp.177-178